2013年9月30日月曜日

ブログ引っ越しました

Word Pressを使ってみたかったのと、随分と昔から更新してるブログで、一旦仕切り直してみたくなったのとで、ブログ引っ越しました。

http://firststar111.wordpress.com/

相変わらず細々としか書いていませんが、こちらをブックマークして頂けると嬉しいです。

2013年5月1日水曜日

自分の仕事って? 考え方と作り方の話

西村佳哲さん 『自分の仕事をつくる』を読みました。



「仕事をつくる」と言われたとき、皆さんは何を思い浮かべますか?

僕は、こう自分に問うた時、自分の専門分野をつくるということかな。と考えていました。


言い換えると、自他共に「これはアイツの仕事だ」と認知するということです。自分だけが思っているだけではダメで、他人が任せたいと認めるから、仕事が自分のものになる。そんなふうに考えました。


この本で西村さんが仰っている『自分の仕事をつくる』というのは、これとは少し違うかも知れません。


僕がイメージした『自分の仕事をつくる』は、すでにある仕事を自分のものにするにはどうすればいいか という考え方。 

西村さんの『自分の仕事をつくる』は、生きていく中で、何もないところから自分の仕事をつくるにはどうすればいいか という考え方です。

つまり、「自分発の仕事をつくるにはどうすればいいか」を考えていく本です。


ところで、仕事なんて言われてもピンときませんよね。 人によってずいぶんと解釈の異なる言葉だと思います。 ここでは、仕事を「自分と社会を繋ぐもの」と捉えるとわかりやすいと思います。


仕事をする主体である、私 と 仕事のアウトプットを受ける、社会 という関係で、自分と社会は繋がっています。 もともと他人である私と社会を繋ぐものが仕事です。

この本の書き出しはこんな言葉ではじまります。

目の前の机も、その上のコップも、耳に届く音楽も、ペンも、紙も、全て誰かがつくったものだ。
街路樹のような自然物でさえ、人の仕事の結果としてそこに生えている。

私たちは、数えきれない他人の「仕事」に囲まれて日々生きているわけだが、ではそれらの仕事は私たちになにを与え、伝えているのだろう。

この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、じつは一人一人の手元にある。多くの人が「自分」を疎外して働いた結果、それを手にした人をも阻害する社会が出来上がるわけだが、同じ構造で逆の成果を生み出す事もできる。  ”

こんな出だしで、働き方研究科西村さんの話ははじまります。

「世界は仕事によってできていて、仕事の質によって人を阻害することもできれば承認することもできる」というメッセージです。

例えば同じ服をしまうにしても、丁寧に作られた「いい仕事」な箪笥にしまうのと、ホームセンターで買ったカラーボックスにしまうのとでは、全社の方がより「自分は大事にされている」という気持ちを感じます。

ホームセンターのカラーボックスは、「価格相応の機能」は持っているものの、目につかない部分はペンキが塗られていなかったりして、どうも「自分は大事にされている」という気持ちにはなりません。

それでも、世の仕事は後者が主流で、この仕事を蓄積していった先には、仕事が人を阻害する社会ができる・・という訳です。


この仕事の質というのは、何もB to  Cのビジネスに限ったことではないと思います。

オフィス内でも、丁寧につくりこまれた資料を受け取れば嬉しい気持ちになるし、やっつけ仕事で仕上げたメールを見ると悲しい気持ちになります。

せっかく社会と繋がる手段が仕事なら、いい仕事をしてきたいな。と思いますよね。


本の内容としては、いい仕事をつくる為、どんな働き方があるかをオムニバスに紹介し、それぞれの章での結論が出されていきます。


僕が考えるこの本の結論は、「共同体の中でどう振る舞うか。それが仕事をつくる」です。

気になった方、是非読んでみてください。読後の感想シェア楽しみにしています。

2013年4月14日日曜日

台湾出張と、地元の春

再来週、台湾出張に行くことになりました。

海外出張の多い会社で、今までも上海・広州と行ってきましたが、今度は台湾。 しかも、はじめての単独海外出張です。


正直、かなり不安です。


市場調査が目的なので、調査方法を決めるところから準備を始めています。
お客さんを訪問し、景況感について伺ったり、使用している商品の話をしてくるので、まず訪問先を決めなければなりません。

台湾のスタッフとメールでやりとりし、訪問先の目星を立てたところで週末になりました。

「一人で行って、失敗できない」と思い込むと、なかなかプレッシャーを感じてしまいます。
そんな浮足立っていた今週、実家に帰省する予定ができ千葉に帰ってきました。





近所を散歩すると、ちょうど菜の花が見ごろ。吹いてくる風に花の匂いが乗り、いい気持ちです。

途中、天気が崩れ雨が降ってきたのですが、雨の降り出しと共に蛙の鳴き声が聞こえ、聞き耳を立ててしまいました。


久しぶりに帰省すると、ずいぶんな田舎に住んでいたんだな。と思います 笑


帰省するまでは出張の事が頭から離れなかったのですが、懐かしい景色を見て散歩し、自然に触れているうちに、自然とリラックスすることができました。

エネルギー充電して、『ま、オレならできるっしょ!』てな具合です。


思えば、大学時代の活動でもしょっちゅうプレッシャーを感じていました。
コカコーラでのプレゼン作り、市役所 観光課の方との折衝。ついつい背負って「辛い」と感じた時にはこうやって散歩して、気を紛らわせていたものです。

この習慣のおかげで、自分のセンスオブワンダーを取戻し、どうにかやってこれました。

プレッシャーで浮足立った時、こうやって落ち着ける場所があるのはありがたい事ですね。
台湾出張、頑張って行ってきます!

2013年4月13日土曜日

仕事の価値の感じ方

今週は2日間、1つ下の後輩君と出張でした。

車で東京から神奈川へ移動する道中、「これから、どんな仕事をしたいの?」という会話になりました。




後輩『デカいプラントつくりみたいな、大規模な仕事がしてみたいっすね~』

僕『でも、会社でできる大規模な仕事ってしがらみが多くて大変だと思うよ。だったら小規模でも自分の裁量で切り盛りできる仕事の方が楽しいんじゃない?』


同じ会社で働く新卒でも、価値を見出す仕事って違うもんですね。

僕は元々現場嗜好で、外出して自社製品をつくっている工場のおっさんと仲良くなったり、身近なところで改善をしたりするのが好きなタイプなので、正直プラントつくりとか言われてもそそられません。

現場(というか、自分の感性が働く範囲)から離れてしまう気がして、どことなくツライイメージを持ってしまいます。

でも、プラント設立のような一大プロジェクトに憧れる人が多いのもわかります。

自分の資本でどうこうできるものではないので、後世に語り継げる経験になるはずです。

でも、こういう大規模な仕事って自分で取り組んだ気が薄いような気がします。
既に大規模な仕事を経験された方は、『そんなことはない。自分でやった仕事だよ』と仰ると思いますが、自分にとっては日常と経験が離れ過ぎていてイメージができません。


自分が経験したことのある範囲の、小さい仕事のイメージから始まり、経験を重ねるごとに規模の大きい仕事がイメージできるようになるのかな。と思います。


今はまだ、プラント設立は目標に持てないです。 
目先の仕事の規模を少しづつ大きくして、やがてはプラント設立くらいの大きな規模間の仕事をしたいと思います。


僕は、自分のできるイメージがないと楽しそうだと思えないんですよね。後輩君はできる・できないをすっ飛ばしてイメージができる人なんでしょう。

理想だけでもダメですが、現実ばかり見ていると発想が限定されてしまいます。
たまには、『この仕事かっけぇなぁ』と憧れる仕事探しをしてみるのもいいかもしれません

2013年3月31日日曜日

暇と退屈の倫理学 読後感

最近、帰りの早い日が続いたのでよく本を読みます。

先週読んだのがコチラ
暇と退屈の倫理学





副題は、『人間らしい生活とは何か?』

「何をしてもいいのに、何もすることがない」なんて退屈な時間、あなたも持った事はありませんか? 

思えば、僕はずっと退屈な時間と戦ってきた気がします。

高校生の時は、退屈な授業の最中に読書に勤しみ(通算100冊近く読んだかな?)、大学時代、空いた時間ができるとすかさず予定を入れていました。

ぼんやりと、“普通でいたくない!”なんて考えを持ってたので、“無駄な時間”を過ごさずに何かし続けていたかったんですよね。
とはいいつつ、授業サボって友達とディズニーに行ったり、観覧車に何時間も並ぶようなデートもしてたんですけど。笑


結構マセた子供だったので、まさしく「何をしてもいいのに、何もすることがない」なんて思っていて、「一体オレは今、何をすればいいんだ?」なんて考える事が多かったです。
とは言っても勉強は嫌だし、田舎ですることもなかったので、「とりあえず本読むか!」と思い至ってからは相当な“暇”を読書でやり過ごしてきました。

こんな、「何者かになりたいけど、何をすればいいかわからない」なんて退屈な時間を送っている貴方にお勧めの本です。

本書は論文のような構成になっていて、ところどころ文献を引用しながら暇・退屈の正体を暴いていきます。最終章はしっかり“結論”という名付がされており、筆者の結論が述べられます。

一応の内容要約はこんなカンジです。

・暇:生活に必要な事をしなくて済む、手の空いた時間
・退屈:
第一の退屈:望むものがあるのにそれが手に入らない状態
第二の退屈:何かをしているが、しながらにして退屈している状態
第三の退屈:何となく退屈
→人が環世界の移動を頻繁にできる故に生ずる状態。環世界とは“天体学者”“生物学者”のように特定の知見を持つが故に捉えられる世界のこと。人は場合により“天体学者”“生物学者”それぞれの環世界を体験することができる。 一つの環世界に留まれないから人は退屈する

・結論:退屈への対処法
退屈への自分なりの理解をする
贅沢をする。豊かにくらす術を身に付ける
人間として楽しむ事、すなわち思考すること

ただし、僕の稚拙な要約ではこの本の面白さは伝わりません。
この本の筆者も言っているのですが、読書は体験であるので、通読してこそ教養が涵養されていきます。つまり、読みながら論考を追う事で自分なり「わかった」という経験につながるんです。

本書の言葉を借りると“自分にとってわかるとはどういう事かを理解する”事が読書の醍醐味。気になった方は是非本を手にしてみてください。

それにしても、久しぶりに面白い読書体験でした!こういう体験があるから、読書はやめられないですね

2013年3月5日火曜日

まっとうな同窓会をつくろう

今まで2回開催してきたチャレンジセンター同窓会ですが、単発の飲み会はここら辺にして、そろそろ次のステージに持っていきたいと思います。


今まで、

同窓会=卒業生が昔の仲間と集まってする飲み会

になってしまっていましたが、現役の学生も卒業生も気兼ねなく参加できる交流会にしたいと思います。

また、運営母体は「チャレンジセンターネットワーク」のような名称にし、組織化しようかと思います。
クローズネットワークをつくって、参加者に自由にアクセスできる『活動の基盤』にできればいいな・・と考えています。

ネットワークでは参加者をしっかり把握して、交流会を通じ、できるだけ『次につながる繋がり』をつくりたいです。

例えば、現在の居住地毎にテーブルを分け交流してもらうとか。

東京の交流会で出会った人が沖縄に住んでいたら、次に会うのって難しそうですよね。 
なのでまずは、近くにいる仲間と出会える会をつくれたらいいんじゃないかと考えています。


タイトルで、『まっとうな同窓会』と書きました。
まっとうという言葉に、『同窓生同士がつながり、いつでも協力できる関係をつくる』という理念を盛り込みたいと思っています。


僕らチャレンジセンター参加者は、流行に敏感で、活動的な人が多いです。
こんなメンバーで同窓会の話をすると、「何か企画をしよう!」という話になりがち。

でも、そんな企画に関われるのは、東京に住んでいる、一部のメンバーだけだったりします。
一部が盛り上がっても、それ以外の人が話に入れなく楽しめなくなってしまう。


僕らにとって重要なのは、企画をつくること以上に、基盤を持つことだと思うんです。


共通体験がある者同士が社会に出て、色んな事をしている。
海外で活躍してる奴もいれば、地元に帰って働いている奴もいる。

活動場所はそれぞれだけれど、基盤にはチャレンジセンターで活動していた経験があり、何かあった時にはすぐ繋がって、動き出せる。

こんな関係をつくりたい。


「活動は、もっとでっかくやってください。失敗しても、僕らが支えます。」

つまり、こんなカンジです。



■関連記事
チャレセン同窓会の収益について
http://yoiasa.blogspot.com/2013/02/blog-post_1068.html

同窓会、終了!
http://yoiasa.blogspot.com/2011/12/blog-post_13.html


2013年3月1日金曜日

情報は全感覚を満たせるのか?マルチメディア論

とっても面白い本に出会ったので紹介します。


西垣通 著
『マルチメディア』




一番面白かったのが、「マルチメディアはリアリティをどう変容させるのか?」を主題に、コミュニケーションのルーツに踏み込んでいく部分です。

”生来われわれ生物は感覚にもとづいて生きている。感覚器官から入ってくる情報にもとづいて環境世界のイメージを組み立てる。

これはゴキブリでも犬でも変わりはない。だからまず「感じること」が基層にあるはずで、これに上積みされる表層として「(論理的に)考えること」が位置づけられる。 すくなくとも、そう見なすほうが自然なのだ。 

1970年代に神経生理学者ポール・D・マクリーンが提唱した「脳の三層モデル」ははっきりこの説を裏打ちしている。

ヒトの脳は、生命の基本機能をつかさどる深層脳と、感情にかかわる中間脳と、論理にかかわる表層脳の三層からできており、霊長類特有の表層脳は進化のプロセスの最後に出現したという”


メディア論はじめ、文化系のこういった話はとかく抽象論になりがちですが、進化学を引用しながらサイエンスとして論理展開をしていく流れにハマってしまいました。


生物を専攻してた者らしく言うと、我々が知覚できる世界は感覚器官によって受容できる範囲のもの。感覚器官は生物の体格によるので、昆虫の知覚している世界をヒトが知覚することはできません。


実は昆虫や爬虫類にも目がついており、ヒトと同じイメージを見ているように思いますが、実は情報を網膜の神経で処理しているそうです。 つまり、知覚しておらず、反応しているだけ・・視界から離れた瞬間、先ほどまでのイメージは消え去ってしまうそうです。 同じように見えてると思っていたのに、驚きですよね。


哺乳類は情報を脳で処理する為、世界の記憶が可能です。
ヒトは視覚から情報を取り入れ、世界をイメージすることができます。 部屋にいながらネットで世界旅行をすることもできます。


ただし、視覚からの情報だけでは、結論しか得られず、感動は生まれません。


世界旅行の感動は、旅の資金を溜め、計画を練り、現地に訪れ、コミュニケーションを取りながら目的地に着く という流れ(ドラマツルギー)によって生み出されます。 これをすっとばして情報だけで知ったつもりになっていくと、何もかも、『ブルドーザーで慣らされた地面と同じ』になってしまいます。



上記の内容以外にも、情報化し人々の仕事に場の制約がなくなると、ノマド化する・・など、最近流行の言葉が並んでいました。

実はこの本、第一刷は1994年で今は絶版なんです。とても20年前の本だとは思えない内容でした。

古本屋で購入したのですが、こういう本との出会いがあるから書店はいいですよね