2011年2月27日日曜日

more slowly・・・

大学の下宿先を引き払い、千葉の実家に一時的に帰省しています。

都会に住むとslowlifeが恋しくなるものですが、実家での生活はslowを地でいっていて、おいしい空気にバランスの取れた食事を食べ、こんな時間に風呂にも入って一息ついているところです。


田舎暮らしってとても魅力的です。


世俗的なところから距離を置いて、自分のペースで過ごし、時間がたっていく。
健康的で新鮮な食事や人間関係があり、自然の営みに生かされていることに感謝の気持ちを持つ。


まるで宮沢賢治の世界観です。しっかり着実に現実を生き、それでもその中に喜びを見出していく姿が魅力的なんだろうと思います。

こう思うのは、目の前の事を直視できていないからのような気がします。

歳を重ねると共に自分の体感するスピードは上がっていて、目の前のことに向き合っている時間が短くなる。


顔が広がればそれだけ付き合いも増えるし、視野が広ければ遠くのことも気になる。
そんなこんなで気も休まらず、生活の楽しみを見いだせなくなっているのが都会人なのかもしれません。


だからせめて、実家にいる時くらいは目の前のことだけに注目していたい。 

なるべく多く、目の前のことに向き合う時間を作りたいものです

2011年2月11日金曜日

現象からの情報化

しんしんと、雪が降っております。

雪を見ると長野のお祖母ちゃん家を思い出す。こういう時の僕は、やっぱり土着性の強い日本人だなと思います。


熱いお茶をすすってお喋りしたり、温泉に入って蕎麦を食べるくらいしかすることのない田舎ですが、朝の寒さや雪の眩しさを感じると心を洗濯されたような気分になります。

ふだんはとても便利なところにいて、情報の流れも速くビュンビュン時間が過ぎている。

自覚はないものの、時代に付いていこう、波に乗ろうと気をすり減らしてるんだろうな。


人間はどこまで行っても人間です。 環境について学んでると、そう思う。


科学は発達し、生活の上で自然に生かされてるなんて感じることは少ないけれど、基盤にはあくまでも生物の営みがある。 これは絶対に切り離せず、人間も生物相内で生かされている存在にすぎない。 これが自然です。


歳をとったら、いつかは田舎暮らしがしたいなぁと考える。

でも今は情報の早い、気をすり減らすところに身を置いておきたい。時代の流れを感じ、成長し続けていたい。  生物という観点から考えると、こういった社会はとても不自然な場だろうと思う。


そこに身を置くからこそ、考えるという自然な営みを大事にしなくてはいけない。


生物は、自分の中の発達した感覚器官を通じて情報を得、そこに反応するものだ。 

アメンボは水面の振動によって水面に落ちた餌を見つけ、食事をし、交尾の相手を見つけ、生き続けている。

彼らは触覚が発達し、振動という現象を「餌がある」「雄がいる」という情報に変換させて行動を起こす。


現代の人間は違う。感覚器官を使わなくてもすでに情報が氾濫しているため、「現象を情報に変換する」というステップがなくても生きていける。

情報だけ独立して存在していると、感覚器官を働かせなくても感じた気になってしまう。結果、自らの感覚器官は退化し、現象を感じ取れず、情報を生み出せない。そういうことを続けていると、誰かの考えを聞かなければものごとを判断できない生物になってしまうのではないかと思う。


僕らは何か情報を得て、それについて話すことが多いが、(情報がない)田舎に住んでいても話が面白い人はたくさんいる。

田舎の人は自分で現象について考えている。だから話が面白いんじゃないかと思った。

雪の冷たさ、音、味、手触り。

今日くらいは寒くてもいいかな。と思った朝でした。

2011年2月7日月曜日

イメージと現実

今日は早朝に起きたし、内定者課題終わらせるぞ!!

・・と威勢よく課題に取り組んでから数時間。まだ3分の1が残っています。 頭の中のイメージではちゃっちゃと終わり、卒論に取り組んでいるハズだったのに。 こういう事、結構あります。 今年入社したらもっと増えると思われます。

いつまでに何を終わらせて、どう次の課題に取り組むか をプランニングと言います。

一時期は手帳にこまめに予定を書き込んで管理してましたが、遊びの幅がなく人間的な余裕がなくなるような気がしてやめてしまいました。 

“こうなりたい”というビジョンと常に最前を尽くす気持ちを持ち続ければそれだけで十分かなと思うのです。
そして、必要な場面で真剣に自分と向き合えれば、決断をすることができる。


僕は、自立して、リーダーとしてプロジェクトを引っ張り続ける人物でありたいと思っています。
どこででも通用する人材という意味で“ぐろーばるすたんだーどな人”と表現してますが、これを目指したい。


イメージに近づこうとする自分と、現実にぶつかる自分。 でも、少しづつ乗り越えるしかないんだと思います。

このペースでどこまで進めるかはわかりませんが、進み続けましょう

2011年2月5日土曜日

動き続けないと、ないと

何かの講演会に参加したとする。


予定が空いている時になんとなく足を運んでも学ぶことは少ない。講演を聞いて交流会で名刺を交換して、それでおしまい。なんとなく利口になったような、ならなかったような満足感で家路につく。

予定はパンパンなんだけれど、どうしても新たな情報が欲しくて参加するイベントは学びにあふれている。講演のメモではアイデアが湧き、交流会ではプレゼンを打って協力者ができたりする。


全ての人がそうだとは思わないが、僕はこう。 一昔前(僕らにとってはかなり昔?)なら、生の話を聞きに行ける機会自体が貴重で気づきに溢れていたのかもしれない。

でも、ただ知見を広げるためだけの講演ならwebで事足りる。 むしろ、ちょっと地方に住んでいる僕なんかは交通費も時間もかけていくよりwebの方が効果的だ。


学生時代にずっとやってきた活動を引き継いだ今だからこそ、見えてくるものもある。 でも、情報に対する渇望というか「切実に、この情報欲しい!」という気持ちは減ったと思うなぁ。


会社に入って仕事を始めたら、また情報欲しいモードに切り替わると思う。 仕事上で知りたいことが山ほど出てくるだろうから。

学生のうちに「知りたい!」と思うような、仕事と直接かかわりのない知識が将来の自分をつくるような気がする

2011年2月4日金曜日

理想って変化しつづけるものだからこそ

『自分で自分を評価できる人間であれ』

と社長が言っていました。 昨日参加した内定先の会社説明会でのことです。

他者から評価されたとしても、怠惰な自分は隠すことができる。 逆に努力しても他者から評価されなかった時、自分だけは評価することができればいいでしょう と。

年収1億を超えてなお、自分の掲げた経営者像を目指し続ける姿からは学ぶ所が多いです。


自分の理想を掲げる。

理想を掲げながら、現実の選択をしていくことは簡単ではありません。

痛みを伴わなければ、理想には近づくことができない。理想を目指すとは現状を捨てるということだと思います。

一日だけでも相当な数の選択肢があって、無意識に見落としているものも多くあります。

どんな選択ができるのか、何を捨てることができるのかを知るためにも、情報に対するアンテナは張り続けたいと思います。

何より出発点は、理想を考え続けることなんでしょうね

2011年2月2日水曜日

2011年2月1日火曜日

「捨てる」選択

昨日、卒研の発表会が終わりました。 

発表会はステージでのプレゼンテーションとポスター発表の2日間で、最終日の昨日はポスター発表です。

各々が自分の研究内容をポスターにし、興味を持ってくれた方に話をします。僕は『小さな水生生物の研究だし、聞き手が集まらないかも?』と心配してましたが、始まってみたら来場者が多い多い! 一般の学生が6人に説明すればいいのに対し、僕の発表を聞いてくれたのは30人超もいました。
(知り合いの後輩が来てくれるとは思ってましたが、これほど来るとは思いませんでした!嬉しい!)


1回の説明に要する時間は5分。待ちの方がいる場合には要点だけ説明していきます。

研究対象生物の分類・生活史・調査方法・・ 観客の専門や知識に合わせ、必要な説明は異なります。それに後輩が聞きに来ている場合には、研究内容そのものより発表者と話をしたいという方も多いです。

こういう時必要なのは「何を話すか」というより「何を話さないか」言い換えると「何を捨てるか」という選択だと思います。

もともと1年間の研究成果は5分間じゃ伝えきれないもの。ポスターの裏には莫大なデータがあります。
発表者である僕はこれらも話したいと思いますが、聞き手が全てを受け取ってくれるとは限りません。 むしろ、大事なことを一言で伝えた方が効果的なことが多いです。

僕の伝えたいこと と 聞き手の聞きたいこと を考えて、それ以外は潔く捨てる。この『捨てる』選択を未練なくできるようになりたいです。中途半端に情報を入れて、うまく伝わらないことが多いので・・


ブログの記事にしてもそう。1日の経験は濃くても、書きたいこと以外はうまく捨てていきたいと思います。