2013年3月31日日曜日

暇と退屈の倫理学 読後感

最近、帰りの早い日が続いたのでよく本を読みます。

先週読んだのがコチラ
暇と退屈の倫理学





副題は、『人間らしい生活とは何か?』

「何をしてもいいのに、何もすることがない」なんて退屈な時間、あなたも持った事はありませんか? 

思えば、僕はずっと退屈な時間と戦ってきた気がします。

高校生の時は、退屈な授業の最中に読書に勤しみ(通算100冊近く読んだかな?)、大学時代、空いた時間ができるとすかさず予定を入れていました。

ぼんやりと、“普通でいたくない!”なんて考えを持ってたので、“無駄な時間”を過ごさずに何かし続けていたかったんですよね。
とはいいつつ、授業サボって友達とディズニーに行ったり、観覧車に何時間も並ぶようなデートもしてたんですけど。笑


結構マセた子供だったので、まさしく「何をしてもいいのに、何もすることがない」なんて思っていて、「一体オレは今、何をすればいいんだ?」なんて考える事が多かったです。
とは言っても勉強は嫌だし、田舎ですることもなかったので、「とりあえず本読むか!」と思い至ってからは相当な“暇”を読書でやり過ごしてきました。

こんな、「何者かになりたいけど、何をすればいいかわからない」なんて退屈な時間を送っている貴方にお勧めの本です。

本書は論文のような構成になっていて、ところどころ文献を引用しながら暇・退屈の正体を暴いていきます。最終章はしっかり“結論”という名付がされており、筆者の結論が述べられます。

一応の内容要約はこんなカンジです。

・暇:生活に必要な事をしなくて済む、手の空いた時間
・退屈:
第一の退屈:望むものがあるのにそれが手に入らない状態
第二の退屈:何かをしているが、しながらにして退屈している状態
第三の退屈:何となく退屈
→人が環世界の移動を頻繁にできる故に生ずる状態。環世界とは“天体学者”“生物学者”のように特定の知見を持つが故に捉えられる世界のこと。人は場合により“天体学者”“生物学者”それぞれの環世界を体験することができる。 一つの環世界に留まれないから人は退屈する

・結論:退屈への対処法
退屈への自分なりの理解をする
贅沢をする。豊かにくらす術を身に付ける
人間として楽しむ事、すなわち思考すること

ただし、僕の稚拙な要約ではこの本の面白さは伝わりません。
この本の筆者も言っているのですが、読書は体験であるので、通読してこそ教養が涵養されていきます。つまり、読みながら論考を追う事で自分なり「わかった」という経験につながるんです。

本書の言葉を借りると“自分にとってわかるとはどういう事かを理解する”事が読書の醍醐味。気になった方は是非本を手にしてみてください。

それにしても、久しぶりに面白い読書体験でした!こういう体験があるから、読書はやめられないですね

2013年3月5日火曜日

まっとうな同窓会をつくろう

今まで2回開催してきたチャレンジセンター同窓会ですが、単発の飲み会はここら辺にして、そろそろ次のステージに持っていきたいと思います。


今まで、

同窓会=卒業生が昔の仲間と集まってする飲み会

になってしまっていましたが、現役の学生も卒業生も気兼ねなく参加できる交流会にしたいと思います。

また、運営母体は「チャレンジセンターネットワーク」のような名称にし、組織化しようかと思います。
クローズネットワークをつくって、参加者に自由にアクセスできる『活動の基盤』にできればいいな・・と考えています。

ネットワークでは参加者をしっかり把握して、交流会を通じ、できるだけ『次につながる繋がり』をつくりたいです。

例えば、現在の居住地毎にテーブルを分け交流してもらうとか。

東京の交流会で出会った人が沖縄に住んでいたら、次に会うのって難しそうですよね。 
なのでまずは、近くにいる仲間と出会える会をつくれたらいいんじゃないかと考えています。


タイトルで、『まっとうな同窓会』と書きました。
まっとうという言葉に、『同窓生同士がつながり、いつでも協力できる関係をつくる』という理念を盛り込みたいと思っています。


僕らチャレンジセンター参加者は、流行に敏感で、活動的な人が多いです。
こんなメンバーで同窓会の話をすると、「何か企画をしよう!」という話になりがち。

でも、そんな企画に関われるのは、東京に住んでいる、一部のメンバーだけだったりします。
一部が盛り上がっても、それ以外の人が話に入れなく楽しめなくなってしまう。


僕らにとって重要なのは、企画をつくること以上に、基盤を持つことだと思うんです。


共通体験がある者同士が社会に出て、色んな事をしている。
海外で活躍してる奴もいれば、地元に帰って働いている奴もいる。

活動場所はそれぞれだけれど、基盤にはチャレンジセンターで活動していた経験があり、何かあった時にはすぐ繋がって、動き出せる。

こんな関係をつくりたい。


「活動は、もっとでっかくやってください。失敗しても、僕らが支えます。」

つまり、こんなカンジです。



■関連記事
チャレセン同窓会の収益について
http://yoiasa.blogspot.com/2013/02/blog-post_1068.html

同窓会、終了!
http://yoiasa.blogspot.com/2011/12/blog-post_13.html


2013年3月1日金曜日

情報は全感覚を満たせるのか?マルチメディア論

とっても面白い本に出会ったので紹介します。


西垣通 著
『マルチメディア』




一番面白かったのが、「マルチメディアはリアリティをどう変容させるのか?」を主題に、コミュニケーションのルーツに踏み込んでいく部分です。

”生来われわれ生物は感覚にもとづいて生きている。感覚器官から入ってくる情報にもとづいて環境世界のイメージを組み立てる。

これはゴキブリでも犬でも変わりはない。だからまず「感じること」が基層にあるはずで、これに上積みされる表層として「(論理的に)考えること」が位置づけられる。 すくなくとも、そう見なすほうが自然なのだ。 

1970年代に神経生理学者ポール・D・マクリーンが提唱した「脳の三層モデル」ははっきりこの説を裏打ちしている。

ヒトの脳は、生命の基本機能をつかさどる深層脳と、感情にかかわる中間脳と、論理にかかわる表層脳の三層からできており、霊長類特有の表層脳は進化のプロセスの最後に出現したという”


メディア論はじめ、文化系のこういった話はとかく抽象論になりがちですが、進化学を引用しながらサイエンスとして論理展開をしていく流れにハマってしまいました。


生物を専攻してた者らしく言うと、我々が知覚できる世界は感覚器官によって受容できる範囲のもの。感覚器官は生物の体格によるので、昆虫の知覚している世界をヒトが知覚することはできません。


実は昆虫や爬虫類にも目がついており、ヒトと同じイメージを見ているように思いますが、実は情報を網膜の神経で処理しているそうです。 つまり、知覚しておらず、反応しているだけ・・視界から離れた瞬間、先ほどまでのイメージは消え去ってしまうそうです。 同じように見えてると思っていたのに、驚きですよね。


哺乳類は情報を脳で処理する為、世界の記憶が可能です。
ヒトは視覚から情報を取り入れ、世界をイメージすることができます。 部屋にいながらネットで世界旅行をすることもできます。


ただし、視覚からの情報だけでは、結論しか得られず、感動は生まれません。


世界旅行の感動は、旅の資金を溜め、計画を練り、現地に訪れ、コミュニケーションを取りながら目的地に着く という流れ(ドラマツルギー)によって生み出されます。 これをすっとばして情報だけで知ったつもりになっていくと、何もかも、『ブルドーザーで慣らされた地面と同じ』になってしまいます。



上記の内容以外にも、情報化し人々の仕事に場の制約がなくなると、ノマド化する・・など、最近流行の言葉が並んでいました。

実はこの本、第一刷は1994年で今は絶版なんです。とても20年前の本だとは思えない内容でした。

古本屋で購入したのですが、こういう本との出会いがあるから書店はいいですよね