2012年10月22日月曜日

したい、プロデュースの立ち位置

言い出しっぺとしてチャレセン同窓会の準備をしている訳だけど、曲がりなりにも企画を引っ張るリーダーになると、色々考えることがある

企画のゴールはどこなのか
昨年の反省って活かせてるのか
そもそも、自分は何がしたくって、こんなことしてるんだっけ?

実は、最後の『何したいんだっけ?』ってところは大体いつも一緒。仕事をしながらでも、どこに住んでても、僕は「プロデューサー」として、企画を起こしていたいんだ。

企画をして、自分が脚光を浴びたい!というよりかは、考えた通りに企画が成功して、シメシメと笑いながら集合写真の端っこに写っていたい。 

僕が思うに、本当に役割に徹して企画を成功に導ける人は、集合写真で真ん中に写ってこない。誰からも見えないところで地道にコツコツやって、根回しを上手くできるのが僕の目指すプロデューサー像。


実際は集合写真を撮ると真ん中に写ってることが多いんだけど、別に目立ちたい訳ではなく、まわりに言われるままに真ん中に写ってるだけなんだ。 

企画をする立場によって、写真の真ん中に写んなきゃならない時もある。
例えば、初めてのイベントや団体の立ち上げ時は、『誰が企画をやってるのか』印象付けるのがとっても重要になる。

そのリーダーがいつも一生懸命やってるのを見て、『あいつがやってるなら安心して参加できる』と思ってもらえると、参加者が増えていく。人が増えて活動がデカくなっていくと、初めのリーダーがいなくても団体自体が脚光を浴びて、組織が続いていくことになる。

リーダーが中途半端な態度でやってると企画側もついてこないし、参加する側も巻き込まれない。

企画の立ち上げで変わらずに取り組んでる自分を印象付けた後は、企画自体は人に任せて平気かな・・と思ってる。 同窓会に置き換えていうと、去年は挨拶から司会まで自分でやってしまったけど、今年は同窓会の準備メンバー紹介だけしてさっさと引き下がろうかと思う。その方が企画者としてスマートだし、ここで自分が頑張り過ぎると、自分の抜けられないちっぽけな組織になってしまうから。 



よく聞く同窓会なんて、デカい飲み会だと思ってた。僕たちがやろうとしてるのは、東海大で一番元気のある学生を繋いで企画を起こしていくことだけど、一言で「同窓会」というと、陳腐な企画に聞こえてしまう。


どんなに陳腐な言葉だったとしても、規模の小さい企画だったとしても、これだけ考える事があるって凄いなぁ


企画を起こす立場ってのは、なんて成長に満ちてるんだろう

0 件のコメント:

コメントを投稿